親指を操り、一心に手紙を打つ中学生や高校生。そんな姿を、街で見かけるたびに、私たちは、ほほ笑みたくなるのです。時にうれしそうな、時に真剣なその眼差しは、万年筆やペンを手にしている人の眼差しと同じだ、と。思いを言葉にすることを楽しんでいる人が、ここにもいる、と。ほんの少し前、「活字離れ」が心配されていたこの国で、毎日、何通もメールという手紙を書き、ブログという日記を書く人が増えている。「この気持ち、あの人に届くだろうか」「この考え、伝わるだろうか」迷いながら考えながら、言葉を選び、文章を綴る人たちがいる。筆記具という道具を90年つくり、書く人たちの隣にいた者として、そのことが、ただうれしいのです。そして、あなたの言葉を、あなたの文字で、したためたくなった時。私たちのペンは、伝えようと思います。その胸の内を、その体温を、言葉にできない大切な何かを。
14歳の頃、マリーアントワネットの小説を読んだことがある。
市民がこんなに貧しくしているのに、贅をつくす彼女の姿が滑稽にみえた。
『この人、鈍感すぎる。だから処刑されてもしかたがないわ』
そんな風に中学生の私は思った。
最近、公園を横切ったり、デパートに続く地下道で、ホームレスの方々がうずくまっている横を通り過ぎることがよくある。
他の大勢の人々も、まるでそこに彼等がいることが見えないように通り過ぎていく。
私は、ホームレスの人の前をうつむいて歩く。
そしていつもその本を読み終えた中学生の自分に戻る。
マリーアントワネット王妃もたぶん、同じ感じだったのではないか、と。
今わたしは彼女以上に目の前のこの人達に対して鈍感だと思う。
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18世紀のフランスの女流作家スタール夫人は、大銀行家で財務大臣の娘として、またその才気活発な評論を通じて、当代一の才媛と言われた。日本で言えば清少納言だろう。
「男でなくて良かった。なぜなら、女と結婚しなければならないからだ」
と言う軽妙な警句も彼女らしいもので、特に有名だ。
その彼女がある時、「ダビデの像やヴィーナスの彫刻は確かに素晴らしい芸術作品だが、ちょっと慎みがないのではないか?」と質問され、
「慎みがないのは、見る方の目ではないかしら」
と応えている。
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武田邦彦 (中部大学) - 簡単なことは簡単に (via yellowblog) (via hibiky) (via rokugen) (via nemoi) (via fukumatsu) (via kobeya) (via ssbt) (via nagas) (via wideangle) 2010-01-23 (via gkojax-text) (via yaruo) (via iccoicon) (via ayuwringal) (via petapeta) (via marekoromo) |






